4月29日から5月27日の間の毎火曜日にローマの日本文化会館
(ISTITUTO GIAPPONESE DI CULTURA)にて日本映画が上映されていたので、
毎週
通ってしまった。“ULTIME TENDENZE DEL CINEMA GIAPPONESE”と
題された
最近の日本映画を紹介する催しで、上映されたのは
以下の5本である(以下、カッコ内は伊題)。
『はつ恋 (Primo amore)』
(2000年*篠原哲雄監督)出演・田中麗奈、原田美枝子、真田広之他
『雨あがる (Quando cessa la pioggia)』
(2000年*小泉堯史監督)出演・寺尾聰、宮崎美子他
『ナビィの恋 (L'amore di Nabbie)』
(1999年*中江裕司監督)出演・西田尚美、村上淳他
『キッズ・リターン (Kids return)』
(1996年*北野武監督)出演・金子賢、安藤政信他
『十五才 - 学校4 (Quindici anni - La scuola 4)』
(2000年*山田洋次監督)出演・金井勇太、麻実れい他
『キッズ・リターン』のラストシーンで金子賢が安藤政信に言う最後の
セリフには
脳天を割られる思いを味わった。つまりめちゃくちゃ感動した
のであるが、
映画全体の出来を見て一番気に入ったのは『ナビィの恋』
である。
わたしは実はこの映画を日本で既に二度観ていた。
封切られてしばらく
してから、当時の職場の先輩から勧められたのである。
ちょっとした
洋画かぶれ(というかイタリア映画かぶれ)で
沖縄なんぞに興味も
なかったわたしだが、勧められたことで、
何の気なしに靖国通り沿いの
映画館
へ足を運んでみた。
沖縄のとある小さな島。
東京でのOL生活を辞めた奈々子が島に戻ってくる。
乗ってきた船には、かつて島を追われたが今回60年ぶりに帰ってきた
老紳士や
ぶらっと本土から来たらしい謎の青年もいる。
ブーゲンビリア
の美しく咲く懐かしの家では優しい祖父母が迎えてくれる…。
ストーリーは奈々子の目を通して書かれてはいるが、
実際の主人公は
題名が示すとおり、彼女の祖母ナビィ(演じているのがNHK連続テレビ小説
『ちゅらさん』でも有名になった芸達者、平良とみ
である)であり、
かつてナビィと恋仲であったが周囲に別れさせられ島を追われた男、
憧れの女性であったナビィを娶った祖父、この3人の恋模様、
三角関係
が
話の中心である。
初めて観た時には、とにかくおもしろいこの話の展開に
くぎづけになり、
沖縄の美しさにも圧倒された。そして考えたのが、
ナビィと同世代であるわたしの祖母にこれを観てもらうことである。
だから二度目は道玄坂の映画館
で、祖母と叔母、わたしの三世代
で観た。
改めて、沖縄音楽と映画音楽界の巨匠マイケル・ナイマン
のテーマ音楽には
惚れ惚れとしたし、何より祖母が楽しんでくれたようだったのがわたしには
とても嬉しかった。
これからこの映画のDVDやビデオをご覧になる方も
いらっしゃるだろうから詳しくは書けないが、
正直わたしはストーリーが
あんなふうに完結するとは思わなかった。
ナビィがあんな行動に出るとは思いもしなかったのだ
(「あんな行動」を
知りたい方は映画をご覧下さい)。
しかしわたしの祖母は「あたしが
ナビィであっても彼女と同じ行動をとるに違いない」と
言った
のである。ふーん、そんなもんかあ、「おばぁ」たち。
祖母の感想が聞けた
ことでこの映画の予想外のハッピーエンド
にも満足したのである。
そうして三度目はイタリア語字幕と共にローマにて
。
この日は丁度ひどい風邪をひいていて咳が止まらず
(詳しくは第2話『郷に入りては…』
をお読み下さい)、
落ち着いては観られなかったのだが、ラストで島民
(正真正銘の地元住民をエキストラで使ったと思われる)たち
老若男女が
かわるがわるカメラに向かって屈託のない笑顔を
見せるシーンがあり、
そこに胸を熱くした。
望郷の思い
というのであろうか、
懐かしい日本人のあたたかい笑顔に
ヤラれたのである。
随所に出てくるギャグ(登川誠仁演じる「おじぃ」の
真面目なセリフではあるのだが)も
おもしろおかしかったが、残念ながら
イタリア語字幕にはうまく訳されてはいなかった。
訳すのに無理がある表現
だったので仕方がないといえば仕方がない。
とにかく映画は三度見て三度とも
堪能できるものであった。
そうそう、沖縄を語る時にディアマンテスを忘れてはならない。
彼らの地元、沖縄県内では知らぬものはいないくらいの人気グループで、
素晴らしい音楽を作り、演奏する3人組だ。
ボーカルのアルベルト城間
は
沖縄人の血を引く日系ペルー人で、
ギターのターボ、ベースのトム仲宗根は
沖縄出身、1991年に沖縄で結成された。
ラテン音楽を根底に、沖縄音楽、沖縄の言葉、スペイン語の歌詞、日本語などを
音楽の中ですべてうまく使いこなしてしまう。
スペイン語で「ダイアモンド」
という意味の言葉がグループ名だ。
インストゥルメンタル(楽曲のみ)もある
が、
多くはアルベルトの書いたスペイン語の歌詞を伴っている。
この歌詞を口に出せばその響きは美しく、
日本語訳を読めば時には
心を打たれ時には笑わされる。
曲の作りも覚えやすくてすぐに口ずさめるが、
それぞれが特徴のある個性的なものであり、
今時の歌手によくありがちな、
「何を歌っても同じに聞こえる」と言うことがまずない。
わたしはこのディアマンテスを、昔勤めていた職場の先輩
(『ナビィの恋』を
勧めた人とは別人)から無理矢理勧められ無理矢理聴かされたのであった。
しかしこれがあまりに自分の好みと合っていたので驚き、
すんなりファンに
なったのである。
コンサートやライブにも何度か足を運んだが、
初めて行った
日比谷の野外音楽堂は忘れられない。
ギターの音色を聴いただけで涙がにじんできたのだった。
わたしも少々音楽をかじっていたから分かるのだが、
演奏で人の心を動かす
、
というのは並大抵のことではない。不可能に近い。
逆に言うと、自分の心を動かせる音楽を探すのは困難であり、
だからそれを
見付けたとしたら、その存在は貴重なのだ。
わたしにとっては、ディアマンテスが今のところ唯一である。
音楽レベルは最高、一流の音楽家たちだ
(わたしがコンサートに行っていた
4年頃前は、パーカッションやコーラスなどを含めて
8人のメンバーで構成
されており、ちょっとしたオーケストラの感があった。
オーケストラと言えば、
わたしは「東京スカパラダイスオーケストラ」も好きである)。
ところでローマの自室には60枚ほどのCDがあるのだが、
いつも手に取る
ものというのは割と限定されてしまうものだ。
やっぱりディアマンテス。
このラテンの音楽が似合うのは沖縄かペルーで、ローマではちょっとどうかと
思うのだが、
夏の夜などにはいいかもしれない。年がら年中聴いている。
ローマに限らず、6月のイタリア全土はかなりの猛暑だったらしい。
あまり暑がりでないわたしは、どうせ大袈裟なイタリア人
たちが
また大袈裟に
騒いでいるだけ
だろうと、ニュースや天気予報を
シラケつつ見ていたのだが、
なんとびっくり。
先日、日本の友人から「イタリアが猛暑というニュースを
見ましたが…」と
メールをもらってしまった。
イタリアに住んでいるにもかかわらず、日本人からイタリア情報を聞かされる
なんてトホホである。
日本で報道されるほどおおごとだったなんて気が付か
なかった。
しかし7月に入ってからは暑さもやわらぎ、夜の風は涼しいくらい
である。
先週、連日トラステヴェレで外食だったわたしは、オープンエアで
食べていると寒いくらいだった。
さて午前様。
部屋に帰ってディアマンテスを聴きながら、『ナビィの恋』と親愛なる祖母を
思い、
行ったこともないかの地沖縄に思いをはせる
ローマの夏の夜である。
(2003年7月)